キハ200系

 編成は0番台(トイレつき)と1000番台の、両先頭車がペアになった2連単位であるが、奇数両での運転も可能である。なお先頭車の自動解結装置は準備工事にとどまっている。爪クラッチなどの採用により電車である415系並みの加速性能を持っているが、Maxは811系・813系より10km/h低い110km/hで、軽量ボルスタレス台車であるもののヨーダンパは装備されていない。なお非電化区間を走行するためドアはステップつきである。

 ドア間の固定クロスシートを含めドア間座席は片側6列である点が811系・813系と違う(これは電車より気動車の方が車体が長いため。DC75形の座席配置は311系と同じだがシートピッチ94cmである)。ただ811系・813系と同様戸袋窓がないので、固定クロスシートの側面展望はよくない。なお側窓は片側9枚中3枚の1段下降窓(4次車ではこれに▼マークが後になって付いた)以外が固定窓であるのは排気ガスの侵入などを防ぐためである。811系や813系のようにドア上部や戸袋部分には広告はないが、4次車にはマガジンラックが設けられている。 

 シートと4次車の枕は811系と全く同じ素材が使用されているが、1〜3次車の枕(DC125形も同様の素材)は同系とは違う。1〜3次車では側壁とともに、当時改造が進行中であった485系“RED EXPRESS”などと同じカラーリングで、シートモケットは黒をベースにさまざまな色のドッツを散らしたものである。一部の転換クロスシートの暖房機は吊り下げ式ではない。照明はグローブつきであるが、811系・813系・783系の丸型ではなく、117系・221系・223系・311系と同じく角型である。クーラ(1両あたり40600kcal/h)は811系や813系のような屋上集中式ではなく、自動車などで使用されている汎用品を採用して徹底したコストダウンを図っているが(このため効きが悪いことがある)、これはクーラ以外のほかの主要部品でも同様である。

1:篠栗線・筑豊本線用−1991.3.16改正1次車・1991.8.31改正2次車
 1991.3.16改正で博多駅9番線が完成し、博多〜吉塚間の3線化による篠栗線と鹿児島本線の完全分離運転が実現したため、篠栗線の全列車が博多まで乗り入れるようになった。まずこの改正で1次車として2連3本の6両が、新設された篠栗線・筑豊本線博多〜直方間の快速(黒崎延長はまだ)に投入されたが、全車フル稼働であった。快速以外のDC200形充当列車は16本で、篠栗発着のほか若松まで運転されていた。

 1991.8.31改正で2次車としてさらに2連3本の6両が増備され(この増備車からシートが若干硬くなっている)、この改正で快速は「赤い快速」の愛称がつけられた。この結果「赤い快速」は増発や増結がなされ、しかも昼間の一部が黒崎まで延長されている。篠栗線・筑豊本線用は全て直方気動車区の配置で、1996.3.16改正現在でのキハ200形充当列車について、「赤い快速1・11・13・15・17・19・21・2(直方まで)・14・16・18・20・22・24号」は4連で運転、「赤い快速」以外では5433D(4連)〜2631D(6連)・655D・657D・665D〜1665D・5647D・5651D・687D(4連)・5424D(4連)・622D(4連)・1652D〜652D・1660D〜660D・5642D・5646Dの13本の普通に充当されている。5運用があり、1本は予備である。

 1997年頃より筑豊本線・篠栗線用1・2次車でもワンマン対応化改造がなされているが、昼間は停車する全駅に駅員がいるため、こちらは指宿枕崎線用のように整理券発行機や運賃箱は設置されておらず、見かけ上は変わらない(6次車も同様)。ところでその運用についてだが、1997.3.22改正で新たに後藤寺線にも乗り入れている。具体的には、同改正までは若松から(2+2+2)連で運転されていた現在の6533D〜2631Dが新飯塚までは(2+2)連での運転で、残り2連は後藤寺線の田川後藤寺始発として、新飯塚から互いに併結されて(2+2+2)連となるよう変更された。なお、この関係で後藤寺線内の1537Dにも充当されている。

【1999.3.13改正】

 同改正で(2+2+2)連(土休日は2+2連)で運転されていた6531D〜2631Dが、今改正で新規に設定された直方始発の快速4621Dに振り替えられたことにより、キハ200形は4621Dに充当されることになった。この結果、1997.3.22改正から続いていたキハ200形の後藤寺線乗り入れは土休日のみとなった(1537D→1520D)。

 このほか、「赤い快速」という名称がなくなり、博多発着の快速だからといってキハ200形が充当されるとは限らなくなった(現在6本中5本実働だが2本以上検査入場すると「赤い快速」でもキハ66・67形が代走することがあったが)。博多発着の快速のうち、4640D・4643Dがキハ66・67形4連による運転に変更されている。

 1997.11.29改正で夕方を中心に小規模な運用変更が行われており、夕方以降は篠栗発着の普通から小倉発着を含めた直方以北の普通に就くよう変更されている。1999.3.13改正でも上述のほか若干の運用変更が行われ、同改正現在では従来の「赤い快速」のスジとして623D〜4323D・4625D・6547D〜4627D・641D〜4629D・645D〜4631D・651D〜4633D・4635D4637D4639D4641D4622D・4624D〜638D・4626D〜642D・4628D〜648D・4630D〜6554D・4632D・4634D・4638D4642D・4646D〜6580Dに、それ以外の列車としては6527D・4621D(6連)・661D・6557D・677D・3677D〜1677D、622D、2624D〜6542D・1556D〜656D・662D・672D(網掛けを付した列車は4連)に就いている。

2:指宿枕崎線用−1992.7.15改正・3次車
 1992.7.15改正では指宿枕崎線西鹿児島〜指宿・山川間を1時間ヘッドで運転する快速「なのはな」(新設)に3次車として2連4本の8両が投入された(鹿児島運転所配置)。

 運用は同改正以降あまり変化はなく、1996.3.16改正現在での運転区間は国分〜山川間で、「なのはな」(全て2連での運転)以外のDC200形充当列車は721D・723D・931D・429D〜733D・739D・743D・977D・979D・753D・985D・495D・920D・722D・724D〜428D・734D・740D・744D・976D・984D・754D・986D・990Dの24本で、723D→724Dのみ4連、ほかは2連での運転である。なお4本フル稼働のため、検査などの日は一般ディーゼルに置き換えられる列車があることに注意されたい。

 ところで1993.8.6、日豊本線・指宿枕崎線直通のDC200形下り普通(当時の445D〜975D:国分17:45→指宿19:38)が竜ヶ水での交換停車時に、それまでの集中豪雨による大規模な土砂崩れが発生し、その土砂に埋もれたキハ200-1007が廃車になった。そこでこれに代わるキハ200-5007が1994年春に新製され、キハ200-7とペアになっている。

 このキハ200形を「なのはな」に合った黄の塗色にしてほしいという地元住民の要望から、1995.2.1〜3.31に行われた“いぶすきキャンペーン”に合わせて2連4本中1本(キハ200-7+キハ200-5007)の車体が黄にデコレーションされたが、車内は全く変化はない。キャンペーン終了後もキャンペーンの文字が外された以外は黄の車体のままで変化はない。

 なお、1997年春頃より指宿枕崎線用3次車ではワンマン対応化改造がなされ、さらには全車黄色塗装化されている(従来は4本中1本のみ黄色塗装であったが)。

【1997.11.29改正】

 1997.11.29改正で、運用は大幅に変わった。「なのはな」は半減して2時間間隔の運転になり、さらには坂之上以北は各駅停車になった。「なのはな」が抜けた分のスジは普通で穴埋めがなされているが、喜入発着である。よって喜入以南の普通は1時間間隔となる。

 山川以南は1992.7.15改正からワンマン運転が始まっているが、今改正では西鹿児島〜山川間でもワンマン運転が始まった。常時駅員がいる駅は西鹿児島、南鹿児島、谷山、指宿、駅員がいない時間帯がある駅は慈眼寺、坂之上(鹿児島経済大学)、平川(錦江湾高校)、喜入、薩摩今和泉(指宿商業高校)、二月田(指宿高校)、山川(山川高校)、西頴娃(頴娃高校)−いずれの駅も駅員がいないと定期の買いようがない−、そのほかは全て常時無人駅である。基本的には全列車がワンマン運転となるが、朝上り、土曜昼、平日夕の一部列車や、枕崎直通などの利用の多い列車では車掌が乗務する。

 ではキハ200形の運用について。「なのはな」全列車に充当されているわけではない。4号と枕崎始発の2号は一般気動車による運転である(キハ200形より座席定員が多いことを考えると、その方がいいかもしれない)。それ以外の8本はキハ200形による運転であるが、全体的に運用はのんびりとしている。「なのはな」は山川で1時間半も待機していたり、西鹿児島では短くて30分の待ち合わせである。従来、「なのはな」は指宿や山川で短時間折り返しで「つばめ」との接続を何とかとることができていたが、その「つばめ」の発着時刻が変更されたことで、それが困難になったのも、「なのはな」削減の大きな原因になったのではないだろうか。現在の「つばめ」と1時間間隔で完全接続を取ろうとすると、キハ200形の車両数が足りず、「なのはな」が運転されている時間帯は普通に一切充当できなくなってしまう。いや、「なのはな」の運用に余裕ができたからこそ、全列車山川まで延長できているのではあるまいか。
「なのはな」が削減されたぶん、普通への充当が増えているかというとそうでもない。その代わり、従来は1往復のみであった日豊本線国分乗り入れが3往復に増えている。

 運用は、
@ (1321D→1326D〜平日のみ)⇒6834D→6835D⇒343D→342D→3555D「なのはな9号」→1366D→361D→360D→
A 1321D→1326D⇒329D→328D⇒3337D「なのはな3号」→3350D「なのはな8号」→3351D「なのはな7号」→1362D→335D→354D⇒1373D→
B 1320D→1323D→1322D→3331D「なのはな1号」→3344D「なのはな6号」→3343D「なのはな5号」→3358D「なのはな10号」⇒6858D→6865D⇒1371D→
C1322D→325D→324D⇒6836D→6841D⇒339D→338D→@…

で、⇒は西鹿児島でいったん留置線引き上げや鹿児島総合車両所(1997.11.29改正で鹿児島運転所と鹿児島車両所が統合のうえ改称)への回送があることを表し、下線部は日豊本線国分乗り入れを表す。今回も予備車なしのフル稼働で、Cは夕方から検査へ向かう。どの運用が検査で抜けるかは判明していない。

【1999.3.13改正】

 1997.11.29改正大幅な時刻および運用の変更が行われた指宿枕崎線だが、1999.3.13改正では山川始発である「なのはな4号」にも就くようになったほか、朝夕で若干の運用変更があった結果、枕崎始発の「なのはな2号」以外の全ての「なのはな」と1321D(4連)・1323D・325D・1329D(4連)1333D・339D・343D・1359D・335D・361D・1369D・1371D、1320D・1322D・1326D(4連)・324D・1332D・1340D1342D・338D・1360D・1364D・354D・138D・360Dに就いている。網掛け部分の列車番号は今改正で新たに就いている列車で、逆に329D→328Dは在来車に置き換えられた。日豊本線では国分発着として6830D→6835D、6836D→6841D、6856D→6861Dの3往復に就いている。

3:大村線用−1994.3.1改正・4次車
 1994.3.1改正で佐世保〜長崎間快速「シーサイドライナー」(1988.3.13改正登場で、愛称は1989.3.11改正から)にも4次車として2連5本の10両が投入された(長崎運転所配置)。この4次車は1〜3次車とは違って青の車体カラーリングで、ドアは内外ともに赤で塗られている。車内配色は同時期に登場した783系リニューアル車や787系4次車以降の2号車とほぼ同じである。トイレは同時期に登場した813系と同様センサーのようなものが取り付けられている。またDC200形では戸袋部に広告はないが、この4次車ではマガジンラックが設けられている。

 1994.3.1改正で営業運転を開始したが、改正ごとに充当列車は変化し、1996.3.16改正では「シーサイドライナー1・7・11・13・15・17・21・25・6・10・12・14・16・20・26・30号」と925D・833D・820D・822D・456Dに充当され、26号・925Dと早岐までの25号は4連で運転されている。なおこの改正でDC200形でなくなった列車は、改正前が2連や4連で混んでいたので、増結という形で在来気動車などに振り替えられたものが多い。

 なお「シーサイドライナー」はDC200形以外にも一般ディーゼルことDC58・65形が充当されるが、これは1992.7.15改正まで運転されていた急行の久大本線「由布」・豊肥本線「火の山」用からの流用もあって、1991.11.29から1992.3.25改正のハウステンボス開業にかけてリニューアルされたアコモ改善リクライニングシート(中には国鉄グリーンシート)装備の編成(以下改造SSL車)である(現在では「シーサイドライナー」のほか、長崎〜諫早〜早岐〜佐世保間のほぼ全ての在来気動車列車に改造SSL車が最低1両含まれている)。これとDC200形とどちらがいいかは意見が分かれるところであるが、DC200形より改造SSL車の方が座席定員が多いので、前者使用の場合座れないことが多いのは問題である。キハ200形使用は全て4連とすることを望みたい…が、1996.3.23からの土休日や大型連休・お盆などの多客期(以下A期間)には7・15・17・19・6・8・16・18号の1号車(長崎寄り先頭車)に指定席が設定されている(15号は1996.7.20から)。なおお盆以外の夏休みの平日(以下B期間)にも指定席が設定されたのは7・15・6・18号のみである。これらは普段2連である列車もあり、そんな列車に1両が指定席になったらたまったものではないように思えるが、指定席が設定される日は3連以上に増結される(全車自由席の列車には増結されない)。DC200形に限っていえば普段はこれら全列車2連での運転だが、A期間は全て4連に増結される。ちなみに16・17号は指定席が設定されないB期間は2連での運転となる。A・B期間ともDC200形はフル稼動になるが、それでも13号は改造SSL車に置き換わる。なおこのような増結は1996.3.23以前からなされていたようである。

【1997.3.22改正】

 1997.3.22改正では従来指定席が設定される「シーサイドライナー」については必ず4連以上に連結されていたが、17号は毎日2連での運転になった。
26号は土休日は2連での運転となり、そのため折り返しの25号も全区間2連で運転されている。

【1999.3.13改正】

 長崎〜佐世保間特急「シーボルト」2往復の運転により、当該スジのキハ200形による「シーサイドライナー」が置き換えられた(つまり、その分「シーサイドライナー」は削減)関係で運用変更が生じている。1999.3.13改正でのキハ200形充当列車は、「シーサイドライナー」が1・9・11・13・17・1921・8・10・12・16・22・26号、普通が227D、231D、121D、220D、222D、228D5138D、240D、6934Dで、網掛け部分の列車が新規充当列車で、下線を付した列車(「シーサイドライナー21号」は早岐まで)が4連での運転である。余剰になった1運用を生かして「シーサイドライナー13・12号」の増結と、長崎〜諫早間に1往復(228D→5138D)の充当に供しているのが分かる。

4:豊肥本線用−1997.3.22改正・5次車
 3年ぶりに導入されたキハ200系は5次車としてキハ200形2連5本10両のほかに、新系列の単行キハ220形2両が投入された。投入線区は豊肥本線熊本〜肥後大津間(と鹿児島本線銀水〜熊本間)である。

 既存車からの変更点はまずワンマン対応になって車号に100が加算されたことであろう。シートモケットは1〜3次車と同様の黒をベースに原色のドッツを散らしたものに戻ったが、床は813系と同じ紺の豹柄である。813系200番台と同様照明はグローブつきではなくなり、車外スピーカが設置されているほか、トイレでは鏡と換気窓が省略されている(しかし、シートは同系のように片足支持方式ではない)。ドアの車内側は赤で塗られており、それ以外の扉関係は青で塗られているのは4次車と同様である。またLED情報案内装置が813系と同様片側3カ所のみ設置されたが、同系とは違ってオレンジ1色しか使われていない。

 ハード面では乗り心地向上と813系・883系との部品共通化の観点から、車軸受けが円錐ころ式になっている。また、保安度向上のためEB装置が装備されている。

 単行のキハ220形も1100番台(トイレなしで1000番台、ワンマン仕様で100番台)で、両運転台(片側の運転室/客室仕切の仕様が若干異なっている。片方に車椅子スペース)になったことからトイレはない。そしてくずもの入れは中央扉に設置されている。

 豊肥本線での運用はもっぱら肥後大津以西のみの運転で(以東乗り入れなし)、水前寺・武蔵塚・肥後大津発着の47本中45本に就いている。キハ200系ではない2本とは朝の425D→432Dで、ほかは全てキハ200系による運転である。豊肥本線上の充当列車は本稿の末尾に示してあるが、鹿児島本線上では熊本〜銀水間の4324D→4329Dに就いている。

 5次車投入に伴い余剰となったキハ31形は(豊肥本線の)大分口主体に運転され、さらにはキハ125形との併結列車(これについては1997.3.22改正から登場したのか、それとも同改正前からあったのかは未確認)もよく見かけるようになった。

【1997.11.29改正】

 肥後大津以西発着列車については充当列車、組成とも全く変化はない。宮地発着2往復、立野発着下り2本/上り1本が増え、鹿児島本線で運用変更があっただけである。

 今回では増備こそは行われなかったものの、宮地乗り入れ(8本)がなされているのは、改正前朝夕のみ運用に就いていたキハ200形(2連)が昼間にも運用に就くようになったからである。したがって宮地乗り入れは昼間のみとなる。1425D→1430D→1429D→1436Dと、1427D→1432D→1431D→1438Dの2運用。昼間は単行のキハ220形が活躍するが、土曜午後は高校生の下校時間帯になるため輸送力増強としてキハ200形に振り替えられるため、下線を付した前者の方は在来車が代走することがある。この宮地乗り入れは改正前(1997年9月頃から)にも行われたようだが、運用もこれと変わっていなかったと予想される。立野乗り入れ(3本)については、キハ200形2連が1439Dと1441Dに就き、立野終着後その両者が併結されて(2+2)連として1444Dに就く。

 鹿児島本線大牟田・銀水乗り入れは改正前は夕の1往復のみであったのが、昼間の気動車3往復に変更された(逆にその夕の1往復は在来車に振り替え)。428D→4323D→4322D→4327D(→この後豊肥本線441Dとなる)と、4324D→443D。このほかの鹿児島本線銀水〜日奈久間の気動車の一般列車は在来車による運転である。「くまがわ」の間合いで運転されていた"アクアエクスプレス"車組み込み編成も、今改正で鹿児島本線の一般列車から撤退した。

 総じて立野、宮地、銀水乗り入れのキハ200系は全てキハ200形2連による運転で、よってキハ220形は熊本〜肥後大津間のみの運転である。

 なお豊肥本線用は1997.11.29〜12.25の間、キハ200-1002+キハ200-1102の1編成のみクリスマスにちなんでそれ相応の仕様に塗装変更がなされていたが、1998年については未確認である。また1998年夏には一部三角線に乗り入れていた。これは沿線の海水浴客輸送のためで、キハ31形より輸送力の大きいことから充当されたものと思われる。具体的な充当列車や、共通運用か限定運用かは調べることはできなかった。

【1999.10.1改正】

 1999.10.1改正の豊肥本線電化後でも、宮地発着の一部および豊後竹田発着はキハ31形での運転だが、電化区間に直通する下り8本・上り6本の14本は気動車である。肥後大津〜宮地間の区間列車も含め、全列車キハ200系で運転されているわけではなく、1997.3.22改正で投入された熊本運転所所属のキハ200形2連5本10両・キハ220形2両のうち、キハ200形2連2本の4両が筑豊・篠栗鉄道事業部に転属している。熊本〜宮地間に乗り入れる気動車下り16本・上り15本のうち、キハ200形2連3本で下り9本(421D・425D・427D・429D・431D・435D・445D・447D・449D)、上り8本(420D・424D(4連)・428D・430D・432D・436D・438D・442D)に就いている。キハ200形3運用を担当し予備車はない。また3運用とも宮地滞泊なので、1運用は昼間は休んでいる。それら3運用のうち1本が検査などのときはキハ220形2両(転属については未確認)が併結されて2連として代走しているのではと思える。

 一方、筑豊・篠栗鉄道事業部に転属された5次車2連2本は1999.10.1改正頃より篠栗線・筑豊本線上で4連として2629D、4640D→4643D→4644Dなどで運転されているようで、1999.3.13改正で一部キハ66・67形に置き換えられた博多発着の快速に再びキハ200形の充当が復活したことになる。

 なお、815系投入によりそれまで豊肥本線で使用されていた気動車や、今回筑豊・篠栗鉄道事業部に転属されたキハ200形よる捻出により、1999.12.4改正で久大本線の客車列車を置き換えたものと思われる(客車列車で運転されていた該当列車はキハ58・28・47・65形による3連に置き換わっている)。

5:香椎線用−1997.7.25・6次車
 キハ200形2連3本6両、キハ220形4両が筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター(博多運転区運用)配置として香椎線に投入されたが、従来車とは打って変わってオールロングシート仕様車の500・1500番台で(キハ200形の組成は宇美方面からキハ200-500+キハ200-1500。キハ220形は1500番台車のみ)、かつ全車トイレなしとなった。従来車号に500を加算するのはオールロングシート仕様の意味であることは分かるが、それに1000を加算しようがしまいがトイレなしであるのはよく分からない。なお、吊革は客室の全長にわたって設置されている。

 従来車は固定クロスシート背面にくずもの入れが設置されていたが、今回はオールロングシート仕様車のため、ごみ箱として先頭部に設置されており、しかも分別回収対応になっている。車椅子スペースは5次車では先頭部にあったのが、両端ドア寄りの一部座席を撤去した形で設けられている。香椎線では昼間はワンマン運転となっているものの、同線の昼間は全駅で駅員がいるので、整理券発行機や運賃箱といったワンマン対応機器は設置されていない(これは1・2次車でも同様)。

 先述の通り筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター配置でも博多運転区運用のため、篠栗線や筑豊本線への間合いの乗り入れはない。だが博多運転区に近い竹下への回送の意味合いで、鹿児島本線上では香椎〜博多間の1745Dのみキハ200形2連として運転されている(香椎線5734Dの香椎終着後の運用)。だが博多発着の香椎線直通列車には1本も充当されていない。

 香椎線内の運用について。全て2連か3連の運転で、単行列車はない。香椎から北側では全96本中48本、南側では全101本中53本に充当されており、おおむね全体の半数である。だがかなりばらつきがある。昼間の香椎線は全7運用でまかなえるが、(キハ200系は)4運用連続で充当されている充当列車にはため、1時間20分待っても(キハ200系が)来なかったりする。また、朝は(1+2)連で運転されているが、置き換え前はいずれもセミクロスシート仕様の在来車(主にキハ40・47形)4連での運転であった。つまりオールロングシート化に伴う1両あたりの座席定員減と編成減車で、ある意味でサービスダウンといえようか。

 キハ200形に予備車はないが、検査の場合は2両のうち1両を切り離し、予備のキハ220形(4両中3両が実働しているので、予備は1両)を連結させてキハ200+キハ220として代用することがある。

【1997.11.29改正】

 6次車が投入された1997.7.25現在では2連か3連での運転で、単行はなかったが、今改正で北半分(西戸崎〜香椎間)に単行が登場した。午前から昼下がりにかけてはその単行は午前に集中しているものの、土曜日やほかに定める指定日ではその単行も2連に置き換えられるように運用が組まれている。従来昼間以降のほとんどの列車は香椎をスルー運転していたが、この関係で午前はほぼ全列車が香椎で分断されている。

 総じて、充当列車本数は北半分で全96本中60本(←改正前48本。特に午前中は下り11本、上り12本連続で充当されている。)、南半分で全101本中52本(←同53本)と、北半分では増えている。

2000.3.11改正の概要はこちら


【そして、転属とその後の動向について】

 ここでは主に転属について記述する。改正ごとの車両配置状況はエクセル表のこちらを参照願いたい。

1:1999.10.1改正

 繰り返しになるが、1997.3.22改正で豊肥本線用にキハ200形100・1100形2連5本、両運転台のキハ220形1100番台2両が投入されたが、当時は熊本〜肥後大津間の運転で、肥後大津以東への乗り入れはなかった。1997.11.29改正では昼間寝ていたキハ220形が昼間でも運転されるようになったことから、肥後大津〜宮地間でも乗り入れている。

 しかし1999.10.1改正で豊肥本線熊本〜肥後大津間が電化されたため、熊本配置の12両あるうちのキハ200系2連2本4両が筑豊篠栗鉄道事業部(博多運用 香椎線用)に転属している。

 

2:2002.3.23改正−筑豊本線・篠栗線用14両を全て転配、大村線+4両、指宿枕崎線+2両、新規に豊肥本線大分口10両

 2001.10.6改正で筑豊本線・篠栗線が電化されたことにより、キハ200系2連8本16両(うち2本は1999.10.1改正で熊本から転入)が不要となった。全て転属し、2本4両が大村線に、1本2両が指宿枕崎線に追加されたほか、5本10両が新たに豊肥本線大分口(豊後竹田〜大分間)に運転を開始している。しかし、豊肥本線で山岳区間の宮地〜豊後竹田間の乗り入れはない。

 大村線ではキハ66・67形2連15本30両も転属しており、既存キハ200系2連5本10両+転入2連2本4両=2連7本14両とともに大村線のキハ28・58形を全て置き換え、国鉄型グリーンシートを配備していた紺色のシーサイドライナー仕様車などを全て置き換えている。

 指宿枕崎線用もキハ28・58形使用車は西鹿児島〜喜入間の1往復を除き全廃した。キハ200系2連4本8両+転入2連1本4両=2連5本10両の体制となり、指宿枕崎線は同系かキハ47・147形(一部は筑豊本線・篠栗線から転入)に統一されている。

 

3:2003.3.15改正−香椎線14両が撤退、指宿枕崎線+6両−2両、新規に久大本線8両

 香椎線では1997.7.25よりキハ200系500・1500番台2連5本10両+キハ220形1500番台2両の12両に、1999.10.1改正で熊本から転入してきたキハ220形1100番台2両の14両で運転されていたが、それでも全数置き換えには程遠い状況にあり、この改正で全面撤退した。線路も平坦で、駅間距離も短く、本来の性能を発揮できていないことが理由と考えられる。

 転出先についてだが、キハ200系3本6両を鹿児島へ転出し、2002.3.23改正で4本から5本に増えた0・1000番台の1本を大分へ転出させた。この結果指宿枕崎線用のキハ200系は0・1000番台2連4本8両+トイレなしオールロングシート仕様の500・1500番台2連3本6両の14両となった。トイレつき0番台もトイレなし500番台も共通で運用されていたが、2003年秋頃よりトイレを設置し、向かいに車いすスペースを設置している。

 残るキハ200系2本4両とキハ220形4両は新たに初めて久大本線全区間で運転を開始している。ただし豊肥本線もそうだが全列車を置き換えているわけではない。この改正後も豊肥本線大分口の運用体制は変化はないので、2002.3.23改正で2連5本10両が入った豊肥本線と比較すると上記8両しかない久大本線は運転本数が少ない。

 

4:2004.3.13改正

 九州新幹線暫定開業による観光活性化の一環として、指宿枕崎線「なのはな」に指定席「なのはなDX」を導入するため、キハ220-1102(2003.3.15改正より久大本線大分口で運転)を指定席仕様に改造し、指宿枕崎線に起用した。

 客室内は同時期に登場した「いさぶろう・しんぺい」「はやとの風」「ゆふDX」と同じ思想が取り入れられている。

 このほか長崎地区のキハ200形2連1本が大分地区へ転属している。

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5:2006.7.29 LED表示器を大型化、客室内をクロス+ロング混合にしたキハ200形200番台登場

 キハ31形を若松線、原田線、後藤寺線に転属させるため、キハ220形新仕様の200番台9両を新製している。9両とも大分車両センターに投入され、豊肥本線と久大本線で運転されている。豊肥本線は既存車と同様大分口が主体だが、わずか1往復だけ肥後大津〜豊後竹田間に顔を出している。

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6:2009.3.14改正 キハ200形1100番台1両が長崎へ 長崎地区で、キハ200形2連分割による3連運転開始

 2002.3.23改正以降キハ200系とキハ66・67形のみ運転されていた長崎地区非電化区間(長崎本線山線、大村線)は通常2連、多客時4連に増結という体制であったが、ハウステンボス観光客の減少などの要因があったのか、キハ220-1101の1両が大分から長崎に転属し、キハ220形2連と連結した3連運転が開始した。なお、キハ200形を分割し、1+2で3連運転を行うものも出てきた。これによりキハ200系では4連運転はなくなった(キハ66・67形は引き続き4連運転は存在する)。

 

7:2009.10.1 キハ220形200番台3両増備 日豊本線佐伯〜延岡間に進出

 日豊本線佐伯〜延岡間は2003.3.15改正で通しの列車が5往復から3往復に大幅に減少したものの、ホームのかさ上げやワンマン運転は行わず、2007.3.18改正まで475系で運転されていた。同改正で415系4連5本20両のJR東日本からの転入による異動で、717系200・900番台2連に置き換えられたが、それでもワンマン運転は行われていなかった。しかし2連でも効率が利用が少なく悪いのか、電化区間なのにはるばる大分から出向いてまで、単行のキハ220形200番台が乗り入れることになった。ここでようやくワンマン運転が始まったのである。

 既存200番台との変更点は、他社の流れに合わせて優先席付近の吊革が黄色となっているほか、ドア上部に赤ランプが設けられ、開閉時ランプが点滅する(同時期に増備された813系1100番台も同様)。またドア部分の床が黄色になって見やすくなっているほか、車いすスペース付近に介助者用折りたたみ式座席や携帯用スロープが設置されている。

 大分鉄道事業部大分運輸センターの配置のため、既存豊肥本線・久大本線(1500番台含む)と共通運用で運転されていると思われる。

 

8:2010.3.13改正 キハ220形200番台2両 大分→長崎、キハ200形1本2両長崎→大分へ

 3連運転が始まった長崎地区で、たった1年でまた変化が訪れた。大分地区の単行用キハ220形200番台2両が長崎へ転属、代わりに長崎のキハ200形2連1本が大分へ転属し、単行と2連を交換した。1年前の2009.3.14改正でキハ200形を分割するのが面倒だったからではないだろうか。

 

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