天使のつぶやき
NO8002
秋の巻第02帖 (743)〜28帖 (769)
トッチさんのメール
トッチです。
内と外を無能な経営者と働かない従業員で例えたら面白いかも?。
秋の巻第02帖 (743)
人民は土でつくったと申せば、
総てを土でこねてつく り上げたものと思ふから、
神と人民とに分れて他人行儀になるのぞ。
神のよろこびで土をつくり、
それを肉体のカタとし、
神の歓喜を魂としてそれにうつして、
神の中に人民をイキさしてゐるのであるぞ。
取り違ひせんように致しくれよ。
親と子と申してあろう。
木の股や土から生れたのではマコトの親子ではないぞ。
世界の九分九分九厘であるぞ。
あるにあられん、
さしも押しも出来んことがいよいよ近うなったぞ。
外は外にあり、
内は内にあり、
外は内を悪と見、
内は外を悪として考へるのであるが、
それは善と悪でないぞ。
内と外であるぞ。
外には外のよろこび、
内には内のよろこびあるぞ。
二つが和して一となるぞ。
一が始めぞ、
元ぞ。
和して動き、
動いて和せよ。
悪を悪と見るのが悪。
(意訳)
人民は 土で作ったと云えば 総てを土で捏ねた泥人形と思うから、神と人民とに分れて他人行儀になるのです。
神の喜びで土を作り、
それを肉体の型とし、
神の歓喜を魂として、
それに移して、
神の中に人民を生存させているのです。
取り違いしないようにしてください。
親と子との関係と説明しています。
木の股や土から生れたのでは 誠・真の親子ではないのです。
世界の九分九分九厘・常識であるのです。
岩戸開きの有るに有り様もない、さしも押しも押されない、出来るわけがないと思われていた常識外の出来事が、いよいよ近くなりました。
外は 外にあり、内は 内にあり、外は 内を悪と見、内は 外を悪として考へるのですが、それは 善と悪でありません。
たんなる内と外の関係です。
外には 外の喜び、内には 内の喜びがあるのです。
二つが和して一となります。
一が始めで、元なのです。
和して動き、動いて和しなさい。
悪を悪と見るのが悪です。
(解説)
神話では「人間は神により土で作られた」と書かれていますので、神と人間を分け隔てする感覚を待たれますが、材料である土は神の大歓喜を原料とされていますので、神と人間は別ではありますが深い繋がりを持っています。
親子と同じですね。
親から見れば子は何時までも子ですし、子から見れば親は何時までも親のままですが、血を分けた親子なのですから他人行儀でいる必要はありません。
分をわきまえていれば良いのであり、神と人民との関係も同じかと思われます。
この神示では何時からかは定かではありませんが、抜き差しならない出来ん事が近づいているようです。
悪を悪と見るのが悪。
内があるから外があり、外があるから内があるのですから、本来別ではありません。
ですから、和して動かなければなりません。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第三帖(744)
旧三月十七日(1952年)
霊界での現れは同じであっても、
現実界に現れる時は違ふことあるぞ。
それはモノが異なるからぞ。
二二はもとのキぞ。
ナルトとはその現れのはたらき。
(意訳)
霊界での出来事の現象が同じであっても、現実界に現れる時は 違うことがあるのです。
それは モノが異なるから起きる現象です。
二二富士・日本は 元の「キ」基です。
ナルト(九十・鳴門)とは その現象の働きです。
(解説)
同じ大神からの大歓喜ではありますが、霊界と現実界とでは現れ方が違う時がありまあす。
ナルトとは、この世において、大歓喜による表れの働きです。
霊界については良く判りませんので、具体的な例を取り上げての考察は止めておきます。
無理は禁物。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第四帖(745)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
道徳、倫理、法律は何れも人民のつくったもの。
本質的には生れ出た神の息吹きによらねばならん。
神も世界も人民も何れも生長しつつあるのざ。
何時までも同じであってはならん。
三千年一切りぢゃ。
今迄の考へ方を変へよと申してあらう。
道徳を向上させよ。
倫理を新しくせよ。
法律を少なくせよ。
何れも一段づつ上げねばならん。
今迄のやり方、間違ってゐたこと判ったであらう。
一足飛びには行かんなれど、
一歩々々上って行かなならんぞ。
ぢゃと申して土台をすててはならん。
土台の上に建物たてるのぢゃ。
空中楼閣 見て居れん。
(意訳)
道徳、倫理、法律は何れも人民の作ったものです。
本質的には生れ出た神の息吹きによつて作らなければなりません。
神も世界も人民も何れも生長しつつあるのです。
何時までも同じであってはならないのです。
三千年を一切りにして考えなさい。
今迄の考へ方を変えなさいと言いつけています。
臣民人民の道徳を向上させなさい。
臣民人民の倫理を新しくせなさい。
臣民人民の法律を少なくせなさい。
何れも一段づつ上げなければなりません。
今迄のやり方が間違っていたことが判ったでしょう。
一足飛びには行かないのですが、一歩々々上って行くことが必要なのです。
だからと云って、神と云う土台を捨ててはいけません。
神と云う土台の上に建物を建てるのです。
人民臣民が作った近代文明と云う空中楼閣は空しくて見ていられません。
(解説)
我良しが基準の価値観で営まれる世の中であるから法律が必要であり、準じて強制的な刑罰も必要となります。
その場の都合により解釈が変化する倫理観と道徳基準。
今の政治1つを見ても「違うんじゃないの?」と判ってきている事でしょう。
将来の戦争を考えての事かどうかは言いませんが、国会の質疑を聞いていると、愛国心を強要する為の教育基本法改正の口実が
「愛国心の無い者は真の国際人になれない」
ですって。
もっとも、言ってる本人も本気でそんな事を思って言っているのではないのでしょう。
ローマは1日にして成らずと言いますが、先を急がずミロクの仕組みをベースにして一歩ずつ足場を固めながら向上していかなければなりません。
神の言うミロクの世では、法律など無くとも、自らの功績を誇示しなくとも、自然と政治が正しく営まれているのでしょうけれど、それも人民の改心が有っての事です。
金太郎さんのメール
金太郎です
トッチさん、お疲れ様です(^O^)
三千年一切りぢゃ。
これは、今の文明が発生してから三千年という意味でしょうか
土台の上に建物たてるのぢゃ。
空中楼閣 見て居れん。
「天空の城ラピュタ」
にも一応地面となる地下組織がありますね。
今の仕組みは耐震偽装したマンションのような物でしょうか…
一歩間違えれば、足元から崩れ落ちるような不安定さがあるのでしょう
“空中都市”と題した壁紙があるのですが、著作権のため添付出来ませんでした。
残念!
トッチさんのメール
トッチです。
返事が今頃ですんませんでした。
三千年一切りぢゃ。
A.ミロクが地上に降臨して、生まれ変わりしながら経過した年数。
B.三千世界との繋がりを持たせた解釈をしますと、神の世界から 幽界などに至る までの全ての世界に、変化なり進化が伝播した時を一区切りとする。
この2つが考えられそうですが。
トッチさんのメール
5帖と6帖は、セットでお読みになるのがよろしいかと思います。
秋の巻 第五帖(746)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
へその緒はつながってゐるのであるから、
一段奥のへそえへそえと進んで行けば、
其処に新しき広い世界、
大きくひらけるのであるぞ。
自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。
無我でないぞ。
判りたか。
海の底にはキンはいくらでもあるぞ。
幽界と霊線つなぐと自己愛となり、
天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。
よろこびも二つあるぞ。
三つあるぞ。
大歓喜は一つなれど、
次の段階では二つとなるのであるぞ。
(意訳)
臍の緒は繋がっているのであるから、一段と奥の臍へ臍へと進んで行けば、其処に新しき広い世界が大きく開けるのです。
自分を無くすのでは無く、高く深くするのです。
だが、無我の境地のことではないのです。
臣民人民はその道理を判りましたね。
海の底には金キンは限りなくあります。
幽界と霊線を繋ぐと自己愛となり、天国と霊線を繋げば真愛と現れるです。
喜びも二つあります。
喜びは三つあります。
大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのです。
(解説)
臍の緒で繋がっているのでしたら、神(真理)とは深い絆と、切っても切れないご縁が有るという事になりますね。
安心して求めるのが良いと思います。
秋の巻 第六帖(747)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
他を愛するは真愛ぞ。
己のみ愛するのは自己愛ぞ。
自己愛を排してはならん。
自己愛をひろげて、
大きくして真愛と合致させねばならん。
そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。
自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ。
無き悪魔つくり、
生み出すでないぞ。
一段昇らねば判らん。
(意訳)
他を愛することは真の愛です。
己のみ愛することは自己の愛です。
自己の愛を排してはなりません。
自己の愛を広げて大きくして真の愛と合致させねばならないのです。
そこに新しい理(ミチ)が開けるのです。
自己の愛を悪魔と説くのは悪魔であることの証明です。
本来は存在しない悪魔を作り生み出してはいけません。
臣民人民には一段上に昇らねば判らないでしようが。
(解説)
世の宗教では、自己愛を、我よしの悪い心として排除し、切り捨てる事を説いておりますが、一二三神示は違います。
天国と霊線を繋ぎ、自己愛を大きく広げ、真愛と合致させる事に、新しい理が生まれるのだそうです。
金太郎さんのメール
金太郎です。
トッチさん、連投お疲れ様です(^O^)/
自分を愛せる人は人にも優しくなれると聞いた事があります
臍の緒の先は生命の不思議が待っています。
新しい命はいつ霊界からお腹へやってくるのでしょうか?
そう思うでしょ?
ロックさんっ!!
ロックさんのメール
ロックです。
金太郎さんお呼びですか〜(^^;)
コハナサクヤ姫もの「も」は先日みーちゃんと
「何だろうね〜裏の存在として指してるのかな〜」
「でも表が火山の神様だとしたら裏はなんだろうね〜」
と話してました(^^;)
julaさんのメール
jula です。
実際に女性は、受胎し胎内に子供を宿す。
これは生命を外側に作ったというより、内側に宿した状態。
これだと臍の緒を通して繋がっている。
ここでちょっと視点を無理矢理変えて、 胎内を地球や宇宙として捉えたら?
人は相変わらず神の胎内に居て、見えない臍の緒で繋がっているといえるのかもしれな い。
体外幽体離脱の話では人の肉体以外にもあれこれのレベルでのボディーがある旨書かれ ていた。
これも、見えない?臍の緒を通じて繋がっているのかも。
そして、人間自身は気付いていないけれど、自らのうちに、見えない臍の緒を通じて、 人よりも更に小さな存在を生み、育んでいるのかも?
あたかもマトリョーシュカ人形のように。
以下、秋の巻 第05帖 (746)、秋の巻 第06帖 (747)に関連していそうな帖です。
●へその緒 を含む帖
秋の巻 第05帖 (746)
秋の巻 第18帖 (759)
●自己愛 を含む帖
秋の巻 第05帖 (746)
秋の巻 第06帖 (747)
●真愛 を含む帖
空の巻 第04帖 (459)
秋の巻 第05帖 (746)
秋の巻 第06帖 (747)
星座の巻 第19帖(902)
●へそ を含む帖
天つ巻 第29帖 (136)
秋の巻 第05帖 (746)
秋の巻 第09帖 (750)
秋の巻 第18帖 (759)
●臍 を含む帖
天つ巻 第29帖 (136)
日の出の巻 第15帖 (228)
●ヘソ を含む帖
五葉の巻 第07帖 (121)
●へその緒
秋の巻 第五帖(746)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
へその緒はつながってゐるのであるから、
一段奥のへそえへそえと進んで行けば、
其処に新しき広い世界、
大きくひらけるのであるぞ。
自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。
無我でないぞ。
判りたか。
海の底にはキンはいくらでもあるぞ。
幽界と霊線つなぐと自己愛となり、
天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。
よろこびも二つあるぞ。
三つあるぞ。
大歓喜は一つなれど、
次の段階では二つとなるのであるぞ。
秋の巻 第18帖 (759)
人民は神のへそとつながってゐるのであるぞ。
へその緒さへつながって居ればよく、
神人であるぞ。
と
とつながって更に大き
につながってゐるからこそ動きあり、そ
れぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのであるぞ。
同じであって全部が合一しては 力出ないのであるぞ。
早う心いれかへと申してあるが、
心とは外の心であるぞ。
心の中
の中の中の心の中には
が植付けてあるなれど、
外がまっくらぢゃ。
今迄のやり方では 行けんこと判りて居らうがな。
いらんものは早うすてて了へよ。
直々の大神様は二(ツ キ)の大神様なり。
使用された特殊文字 
●自己愛
秋の巻 第05帖 (746)
前出のため省略
秋の巻 第六帖(747)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
他を愛するは真愛ぞ。
己のみ愛するのは自己愛ぞ。
自己愛を排してはならん。
自己愛をひろげて、
大きくして真愛と合致させねばならん。
そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。
自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ。
無き悪魔つくり、
生み出すでないぞ。
一段昇らねば判らん。
●真愛
空の巻 第04帖 (459)
建直しの道つづき、結び、展く、
日月出で、よろづのもの、
一二三(ひふみ)とみち、つづき鳴り成り、
ひらく大道、真理の出でそむ中心に、マコト動きて、元津神 栄ゆ、
元津神は真理、真愛、大歓喜の大道ぞ、うづぞ、神々のうづぞ、
ナルトぞ、人のよろこびぞ、
代々の大道ぞ、
真理、真愛、大歓喜は、中心にひかり、ひらき極まる道ぞ、
展き極まる世ぞ、鳴り極み、ひらき、うごく大道、うごき、和し、なり、大歓喜、足りに足り足る世、
生れ出づる世、うごき更にひらき、
次々に栄え極みて、
新しきはたらきの湧く次の大御代の六合つづく道、
つづき睦びて、富士晴れ極み、
鳴門は殊にひかり出でて、
大道は日神の中心にかへり、
亦出でて、ひらき、
大道いよいよ満つ、
焼く神々、早くせよ。
一月六日、
一二
。
使用された特殊文字 
秋の巻 第05帖 (746)
前出のため省略
秋の巻 第06帖 (747)
前出のため省略
星座の巻 第19帖(902)
人民もの言わなくなると申してあろうが、
ものが今迄のようにものを言わなくなり、
マコトの世となるぞ、
天人の言葉はマコトであるから、
只一言で万語を伝へ得るぞ。
言 葉の生命(いのち)は愛であり、
真であるから、
真愛から発しない言葉はマコトの言葉 でないぞ。
子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、
今の人 民のは言葉でないぞ、
日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、
言霊ぞ、
数霊と倶に弥栄ゆ く仕組。
●へそ
ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第二十九帖(136)
昭和十九年九月十三日、
旧七月二十六日(1944年)
この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。
病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、
自分の身体中どこでも手届くのざぞ、
手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。
臣民の肉体の病ばかりでないぞ、
心の病も同様ぞ、
心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、
国の病も同様ぞ、
頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、
手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、
今の国々のみ姿見よ、
み手届いて居るまいがな、
手なし足なしぞ。
手は手の思ふ様に、
足は足ぞ、
これでは病直らんぞ、
臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。
足 地に着けよ、
草木はもとより、
犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。
三尺上は神界ぞ、
お土に足入れよ、
青人草と申してあろうがな、
草の心に生きねばならぬのざぞ。
尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、
お土踏まして頂けよ、
足を綺麗に掃除しておけよ、
足よごれてゐると病になるぞ、
足からお土の息がはいるのざぞ、
臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、
一人前になりたら臍の緒切り、
社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、
臍の緒切れぬうちは、
いつもお土の上を踏まして頂けよ、
それほど大切なお土の上 堅めているが、
今にみな除きて了ふぞ、
一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、
神の深い仕組ざから
あり難い仕組ざから
喜んでお土拝めよ、
土にまつろへと申してあろうがな、
何事も一時に出て来るぞ、
お土ほど結構なものないぞ、
足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。
神の申すやう素直に致されよ、
この方 病直してやるぞ、
この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、
読んで神の申す通りに致して下されよ、
臣民も動物も草木も病なくなれば、
世界一度に光るのぞ、
岩戸開けるのぞ。
戦も病の一つであるぞ、
国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、
国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。
上の守護神どの、
下の守護神どの、
中の守護神どの、
みなの守護神どの改心して呉れよ。
いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、
くどう気つけておくのざぞ。
病ほど苦しいものないであらうがな、
それぞれの御役忘れるでないぞ。
天地唸るぞ、
でんぐり返るのざぞ、
世界一どにゆするのざぞ。
神はおどすのではないぞ、
迫りて居るぞ。
九月十三日、一二
。
使用された特殊文字
秋の巻 第05帖 (746)
前出のため省略
秋の巻 第09帖 (750)
みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、
独自のものとなるのであるぞ。
ぢゃが皆それぞれの国は一つのへそで、
大き一つのへそにつながってゐるのであるぞ。
地上天国は一国であり、
一家であるが、
それぞれの、
又自づから異なる小天国が出来、
民族の独立性もあるぞ。
一色にぬりつぶすような一家となると思ふてゐるが、
人間のあさ はかな考へ方ぞ。
考へ違ひぞ。
この根本を直さねばならん。
霊界の通りになるのぢゃ。
秋の巻 第18帖 (759)
前出のため省略
●臍
天つ巻 第29帖 (136)
前出のため省略
ひふみ神示 第七巻 日の出の巻 第十五帖 228
昭和十九年十二月十八日、
旧十一月四日(1944年) 228
十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、
九柱でよいぞ、
何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、
この方合はして十柱となるのざぞ。
御神体の石 集めさしてあろがな、
篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。
病あるかないか、
災難来るか来ないかは、
手届くか届かないかで分ると申してあろがな。
届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、
手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と 臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、
災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、
合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、
殊に臍の息一番大切ざぞ、
若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、
唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、
何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、
此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。
神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、
大難小難にしてやるぞ、
生命助けてやるぞ、
此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、
手二本 足二本いれて十柱ぞ、
手足一本として八柱ぞ、
此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。
飛行機の災難も地震罪穢の禍も、
大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、
一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、
信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。
十二月十八日、
ひつ九か三。
日の出の巻 第15帖 (228)
●ヘソ
五葉の巻 第07帖 (121)
昨日は昨日、今日は今日の風、
昨日に囚われるなよ、
人民の道は定まってゐるなれど、
目の前だけしか見えんから踏み迷ふのであるぞ。
薬飲んで毒死せんように致しくれよ、
薬は毒、毒は薬ぢゃ、
大峠にも登りと下りとあるぞ、
馬鹿正直ならん、
頭の体操、ヘソの体操大切ぞ。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第七帖(748)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
公のことに働くことが己のため働くこと。
大の動きなすために小の動きを為し、
小の動きなすために個の動きなすのであるぞ。
に
あり、
又
あると申してあるぞ。
(意訳)
公の仕事で働くことが、己の為に働くことです。
大の動きを実行する為に小の動きを実行して、小の動きを実行する為に個の動きを実行するのです。
小の心の中に中の心があり、又、その中に大の心があると説明しています。
(解説)
物事を為すには、何事も段階と言うものが有るのですね。
最初のステップの中に次のステップのスタートがあり、次のステップの中には更に次の段階のスタートが有る。
それが進歩・向上ですね。
背伸びばかりして基礎をおろそかにした大工に良い家は建てられない。
誰かが住む為の家を建てる仕事で働く大工は、一歩ずつより良い仕上がりを目指し、結果として自分の為に働いていると言えますね。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第八帖(749)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
何事もよろこびからぞ。
結果から又よろこび生れるぞ。
この道理わかれば何事もありやか。
(意訳)
何事も喜びから始まるのです。
結果からも喜びが生れるのです。
この道理が判れば、何事も理解できるのです。
(解説)
喜びとは、大神から三千世界に満ちる根本エネルギーであり、喜び=進化弥栄を意味するのであれば、身に降りかかるつらい出来事も岩戸開きも喜びからの現れと捉える事が出来ます。
難しい事では有りますが、生活の心掛けとしても、何事も喜びを持って受け入れる事が出来れば素晴らしいですね。
金太郎さんのメール
金太郎です 遅レス、すみません
何事も喜びから始まるのです。
結果からも喜びが生れるのです。
何か良いことをして他の方が喜んで下さるのを感じて、自分もまた嬉しくなる。
身近なとこでは、そんなニュアンスでしょうか。
身に降りかかるつらい出来事も岩戸開きも喜びからの現れと捉える事が出来ます。
つらい事も次なるステップアップの為と思えば何ともないですよね。
「笑顔で頑張りましょう」
と励まされてるようです
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第九帖(750)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
みろくの世となれば世界の国々がそれぞれ独立の、
独自のものとなるのであるぞ。
ぢゃが皆それぞれの国は一つのへそで、
大き一つのへそにつながってゐるのであるぞ。
地上天国は一国であり、
一家であるが、
それぞれの、
又自づから異なる小天国が出来、
民族の独立性もあるぞ。
一色にぬりつぶすような一家となると思ふてゐるが、
人間のあさはかな考へ方ぞ。
考へ違ひぞ。
この根本を直さねばならん。
霊界の通りになるのぢゃ。
(意訳)
ミロクの世となると、世界の国々がそれぞれ独立で独自のものとなるのです。
ですが、皆、それぞれの国は一つの臍で、大き一つの臍に繋がっているのです。
地上の天国は一国であり、一家です。
ですが、それぞれの国や家に自づから異なる小天国が出来て民族の独立性もあるのです。
一色に塗りつぶす様な一家となると考えていますが、それは人間の浅はかな考へ方です。
人民臣民の考へ違いです。
この認識の根本を直さねばならないのです。
それは霊界の通りになることを意味していますし、その通りにするのです
(解説)
霊界の通りになると言われては、地震の巻をよく読む必要がありますね。
ミロクの世になった地上界は、臣民それぞれの資質ごとの集団が形成されていながらも、人類全員がミロクの仕組みを認識し、永遠の進化弥栄を目指し、喜びを持って御用を働いている。
こんな感じでしょうか。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第十帖(751)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
外の喜びはその喜びによって悪をまし、
内の喜びはその喜びによって善をますなれど、
マコトの喜びは外内と一つになり、
二つになり、
三つになった喜びとならねば、
弥栄ないぞ。
(意訳)
外の喜びはその喜びによって悪を増し、
内の喜びはその喜びによって善を増すのです。
ですが、真・誠の喜びは外内と一つになり、
二つになり、
三つになった喜びとならねばならないのです。
そうしないと、永久の繁栄は無いのです。
(解説)
道理から外れた喜びはその喜びによって(例えば、自己愛、我欲を満足させる事など)悪を増し、
道理にかなった喜びはその喜びによって善を増すものです。
悪においても善においても喜びは有るのですが、
真の喜びとは外と内と1つになり、
そして2つになり、
3つになった喜びとならなければ弥栄にはなりません。
悪を切り捨て殺すのではなく、大きく広げ善と和す事から始まり、2になり3になり弥栄してゆきます。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第十一帖(752)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
親と子は、生むと生まれるとの相違出来てくるぞ。
又上の子と下の子と、
左の子と右の子とは違ふのであるぞ。
違へばこそ存在する。
(意訳)
親と子は生むと生まれるとの相違が出来てくるのです。
又、上の子と下の子と、左の子と右の子とは違うのです。
違へばこそ、存在するのです。
〔解説〕
悪も、善と違えばこそ存在するのでしょうか。
違うけれど別ではなく、和して1となり2となり3となるのが喜びである。
なんて感じでしょうか。
トッチさんのメール
トッチです。
12帖は解説いりませんね。
秋の巻 第十二帖(753)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
神について御座れよ。
理屈申さず、ついて御座れよ。
地獄ないと申してあろう。
人は神の喜びの子と申してあらう。
人の本性は神であるぞ。
神なればこそ天国へ自づから行くのぢゃ。
住むのぢゃ。
おしゃべり申さんのメール
トッチさん
ということは、人間には悪に見えても、神からすれば悪も神の喜びから生じた存在であり、喜びであるからには存在が許されていると言う事ですね。
だから消滅させるべきものでもなく抱き参らせると言う事なのでしょうか。
悪が無くなれば善も
「これが善である・光である」
と存在認識できません確かに。
おのれが善・光と感じられればおのずとそういう場所(天国)に行ってしまうんでしょう。
だからあくまでも結果を決定するのは自分自身の中にあると言う事なのだと感じます。
トッチさんのメール
三千世界というのは、一方と他方が和合する事により進化するのが基本原理のようですね。
人間の主観により悪と定義されている働きも、宇宙法則から見ると必要不可欠な作用の1つにすぎず、その作用も進化弥栄に活用されるべきものなのでしょうね。
結果を決定するのは自分自身の行いなのでしょうね。
さて寝よ。
トッチさんのメール
トッチです。
平意訳が有りませんので、このまま意見を書く事にします。
疑惑の判定・・・
様々な詐欺、偽造に捏造。
今の時代、まさにこの神示が当てはまっているようです。
また、嘘が上手くなって油断のならない人民と聞けば、この頃の政治が思い浮か びますね。
日本を良くする為と言いながら所得格差の広がる政策と、平和の為と言いながら アメリカに追従し、問題発覚の際には隠蔽工作など、数え上げたらきりが無いの でサイトに紹介されている内容を参考にして下さればと思いますが・・・
人民の世界では価値観と言いますか真の理がひっくり返っているようで、他の世 との概念とは異なっているのでしょうか。
秋の巻 第十三帖(754)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
人民、うそが上手になったから中々油断ならんぞ。
下々の神さまも、うそ上手 になったなぁ。
善ぢゃ悪ぢゃと申してゐるが、
人民の善はそのまま霊人の善でないぞ。
そのまま霊人の悪でないぞ。
心して呉れ。
トッチさんのメール
トッチです。
絶えず留まることなく生成変化するのが大宇宙というものですが、で・・・何を締めたり緩めたりするのでしょうね?
秋の巻 第十四帖(755)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
グッとしめたり、
ゆるめたりして呼吸しなければならん。
其処に政治のうごきあるぞ。
経済の根本あるぞ。
逆にしめる事もあるぞ。
善と申し悪の御用と申すことの動き、
そこから出るのぢゃ。
じっとしてゐてはならん。
ジッとしてゐる善は善でないぞ。
julaさんのメール
julaです。
“締めたり緩めたりする”
とは関係無いですが、今日ふと、こんな事を思っていました。
自分の内側から、
「やりたい、欲しい、実現したい、形にしたい、維持したい」
そのような欲求があるなら、常識や慣習、良い悪いで早急に判断してしまわず、なんと かやってみるべきかも。
それは、その人それぞれに与えられた御用?
そういうのを我慢したり、止めてしまう事こそが不毛かもしれない。
自分がやってみたいと思い、それを自分なりにあれこれやった事は貴重な体験として刻 み付ける事ができるだろうし。
普通じゃないから止めといた方がいいよ。
常識外れだからやるものじゃない。
そういう事で、善人、良い子で居られるように止めてしまう、何もしないのは善とは言 えない。
なんていう風に言えるかもしれないですね。
トッチさんのメール
トッチです。
世のため人のために良かれと思いしている事が、
「実はサタンの誘導にまんまとはまり、真理から外れているという事に気が付かずに一生を終える・・・」
なんて事にならないように身魂を洗濯して目を覚まさなければなりませんね。
目に見える表面上辺ではなく、本質を見る事が出来るならば、与える事は意識せずとも自然と行っているものと思います。
秋の巻 第十五帖(756)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
何程 世界の為ぢゃ、人類の為ぢゃと申しても、
その心が、我が強いから、一方しか見えんから、
世界のためにならん。
人類の為にならんぞ。
洗濯ぢゃ洗濯ぢゃ。
自分が生んだもの、
自分から湧き出るものは、
いくら他に与へてもなくならんぞ。
与へよ、与へよ、
与へてなくなるものは自分のものでないと申してあろう。
無くなると思ふのは形のみ見てゐるからぢゃ。
カラのみ見るからぢゃぞ。
本質は無限に拡がるぞ。
与へる程よりよく、神から与へられるぞ。
井戸の水のようなもんぢゃ。
汲めば汲むほどよくなる仕組。
金太郎さんのメール
心の底から湧き上がるものは、絶える事が無いと思います。
心の中をクリアにして、いいものを与えていきたいですね
トッチさんのメール
心の中は無限の宇宙ですね^^
金太郎さんのメール
そうですね(^O^)
いつも、宇宙空間くらいの心の広さをもっていたいですね
包容力も…
トッチさんのメール
トッチです。
「下が上に、
上が下にと申してあるが、
一度で治まるのでないぞ。
幾度も幾度も上下にひっくりかへり、
又ひっくりかへりビックリぢゃ。
ビックリこねまわしぢゃ。
この部分はポールシフトと、それに伴う海水移動による地上のこねまわしを連想出来ますが・・・?
統一とは、強制的に丸いものや三角のものを四角い型にはめこむ事ではありません。
丸は丸の性質を生かし、三角は三角のまま御用を成すのですが、皆がミロクの仕組み、真の理を理解し、祀り合いがおのずと行われ進化弥栄へと指向性を一になっている状態を統一という。
そして、それぞれがそれぞれの分に相応しい環境を与えられている。。
と言った感じでしょうか。
秋の巻 第16帖 (757)
赤もあれば黄 もあり青もあるぞ。
それぞれのものは皆それぞれであって一点の吹でくくる 所に統一あるぞ。
くくると申してしばるのでないぞ。
磁石が北に向くよう、 総て一点に向かうことであるぞ。
これを公平と申し、平等と申すのぢゃ。
悪 平等は悪平等。
一色であってはならんのう。
下が上に、上が下にと申してあ るが、一度で治まるのでないぞ。
幾度も幾度も上下にひっくりかへり、又 ひっくりかへりビックリぢゃ。
ビックリこねまわしぢゃ。
トッチさんのメール
トッチです。
神からの関与による神かかりについて触れられているようですが、身魂磨きと改心が伴っていなければ、やはり脇道に落ちてしまうと、神もお困りのご様子です。
秋の巻 第十七帖(758)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
神示が一度で判る人民にはミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいらん。
判らんからやらしてゐるのぢゃ。
やらせねば判らんし、
やらすとわき道におちゐるし、
いやはや困ったもんぢゃのう。
トッチさんのメール
トッチです。
3つの帖を纏めますと、
は中であり、無であり、数である。
人民の心の中の深奥には
が植え付けられているのですが、器が伴わず外が真っ暗。
神と人は臍の緒で繋がっているようなものであり、神と人民、又は人民同士
と
がつながり、更に大きな
に繋がっているからこその動きである。
直々の大神様は二(ツキ)の大神様なり。
地球の生命体を創造した存在と言う事でしょうか。
秋の巻 第18帖 (759)
人民は神のへそとつながってゐるのであるぞ。
へその緒さへつながって居ればよく、
神人であるぞ。
と
とつながって更に大き
につながってゐるからこそ動きあり、
それぞれのハタラキあり、
使命を果たし得るのであるぞ。
同じであって全部が合一しては 力出ないのであるぞ。
早う心いれかへと申してあるが、
心とは外の心であるぞ。
心の中
の中の中の心の中には
が植付けてあるなれど、
外がまっくらぢゃ。
今迄のやり方では 行けんこと判りて居らうがな。
いらんものは早うすてて了へよ。
直々の大神様は二(ツ キ)の大神様なり。
使用された特殊文字 
秋の巻 第十九帖(760)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
中今(ナカイマ)と申すことは、
今と申すこと。
は無であるぞ。
動きなき動きであるぞ。
そのことよくわきまへよ。
今迄のこと、
やり方かえねばならん。
一段も二段も三段も上の広い深い、
ゆとりのあるやり方に、
神のやり方に、
規則のない世に、
考へ方、やり方、
結構であるぞ。
使用された特殊文字 
秋の巻 第二十帖(761)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
【科学に
入れると宗教となるのぢゃ】。
は数。
カネは掘り出せん。
生み出してくれよ。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第二十一帖(762)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
和が根本、
和がよろこびぞ。
和すには神を通じて和すのであるぞ。
神を通さずに、
神をなくして通づるのが悪和合。
神から分れたのであるから神に帰って、
神の心に戻って和さねばならん道理。
神なくして和ないぞ。
世界平和と申してゐるが、
神にかへって、
神に通じねば和平なく、
よろこびないぞ。
十二の玉を十まで生んで、
後二つ残してあるぞ。
(意訳)
和が根本です。
和が喜びです。
和すには神を通じて和すのです。
神を通さずに、神を亡くして通づるのが悪の和合です。
神から分れたのであるから神に帰って、神の心に戻って、和さねばなりません。
これは道理です。
神を亡くしては和はありません。
世界平和と云っていますが、神に返って、神に通じないと、和平は無く喜びも無いのです。
神は十二の身魂・玉を十まで生んで
用意して、後二つを残してあります。
(解説)
和が根本であり喜びなのですが、和すには神を通じて和すのです。
これが成十の仕組みとミロクの世の在り方と言えますね。
神の心に戻るには一筋縄では行かない厳しさがありますが、成さなければ岩戸開きは失敗に終ります。
早く心に
を入れなければなりませんね。
ロックさんの解釈 :(一巡目)
十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ。
残りの二つは、太陽と女王かと思います。
ユダヤ12氏族のうち、10氏族は分散して歴史上消滅してしまいましたが、イスラエルと日本を末裔として残しているぞ。
岩戸開きに大きく関わるぞ・・・としてみましたが、どうでしょう。
今年か来年かは忘れましたが、日本でも遺伝子調査によるユダヤ12氏族の末裔探しが始まるそうですが、悪用されない事を祈ります。
史実として大量の人数が日本に渡っているそうですので、遺伝子を調べれば簡単に沢山見つかる事でしょうね。
千成の返事
ロックさんの以下の解釈
十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ。
残りの二つは、太陽と女王かと思います。
トッチさんの以下の解釈
ユダヤ12氏族のうち、10氏族は分散して歴史上消滅してしまいましたが、イスラエルと日本を末裔として残しているぞ。
ロックさんの解釈とトッチさんのユダヤ12氏族の解釈を見てびっくりドンキー!
メチャすごい解釈だと感服しました。
よくこんなことヒラメかれたものです。
ひょっとしたらロックさんの考えと、トッチさんの解釈は、将来同時に起こるのかも?
以前“アイカギ”の話がでてきましたが、今は鍵穴が二つ欠けていて、二つが埋まると、 ちゃんとカギは開くようになっているのかも。
以下の帖では
二三三二二(アイカギ)の 数字を全部足してみたら12になるではありませんか!
今は最後の二が足りない状態なんですね。



コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。
とありますが、
と
が二つ合わさって
の状態になるには、ロックさんやトッチさんの言われる最後の二つが成就することで、そうなるとイシヤも
ハッと気がついて、
「な〜んだ、われわれは元は仲間じゃん」
となり、互いが握手するようになるのかも。
ままさか、
「びっくりドンキー!」
というお店は、将来人類に びっくり
が起こって
ドン
と、岩戸のキーが開くことを表現している?
そんなことは単なる妄想にすぎないでしょうが、 せっかく変な名前のお店があるので、関連があると仮定してみると
びっくりは、「都市攻撃」・・・?
そして、びっくりが「都市攻撃」だとすると、お金大好きのイシヤも「都市攻撃」 の時には、握手してくる。
もちろん「都市攻撃」が起これば、イシヤだって 自分たちが神サタンにダマされていたことが歴然とするのですから
「お〜い、おれたちが間違っていた〜、握手しよう」
と言ってくるのは目に見えていますが・・・
でも、気がつくのはもっと早くしてくれないと・・・
ロックフェラーという名前はロックとフェラーが合わさっていますが、 フェラーというのは、仲間という意味とお金という意味があるのだとか。
お金と仲間はわかりやすいですが、こちらのサイトのロックさんと 仲間だと思ってくれないかなぁ?
なにせ、「都市攻撃」の時に気がついてくれても遅すぎます。
それまでに、ロックフェラー側も、人類史で欠けている 2支族のことを研究して、
「握手しよう」
と言ってくれないと・・・
でも、インターネット情報を見てみると、ロックフェラーも 日本の古い歴史を調べているようなので、将来そんなことも ありえるかも。
その前に、神示にあるように、日本の国が素晴らしいと思って 日本を盗みにやってくるんでしょうね。
でも、日本を飲み込もうとしても、
「のどにつかえてしまう」
とか神示には書いてありました・・・
岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、
この仕組、言ふてはならず、
言はねば臣民には分らんし、
神苦しいぞ、
早う神心になりて呉れと申すのぞ、
身魂の洗濯いそぐのぞ。
二三三二二(アイカギ)、



コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。
一二
(ひつくのかみ)、
七月の二十八日。
下つ巻 第22帖 (064)
特殊文字 


地つ巻 第35帖 (172)
日本の国はこの方の肉体であるぞ。
国土おろがめと申してあらうがな、
日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、
この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、
とことんの時にな りたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに 助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、
今に日本の国の光出るぞ、
その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、
南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。
お土の上り下りある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀してゐる臣民、
もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、
改心第一ぞ。
世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、
身魂みがいたら分るから、
早う身魂みがいて下されよ。
身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、
まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、
神祭りはしないでゐる臣民居るが、
神祭り元ぞ、
神迎えねばならんぞ、
とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、
千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
神の規則は恐いぞ、
隠し立ては出来んぞ、
何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、
神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、
それだけに苦しむぞ、
家は家の、
国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、
済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、
世界の大晦日(おおみそか)ぞ、
みそかは闇ときまってゐるであらうがな。
借銭(かり)返すときつらいなれど、
返したあとの晴れた気持よいであらうが、
昔からの借銭ざから、
素直に苦しみこらへて神の申すこと、
さすことに従って、
日本は日本のやり方に返して呉れよ、
番頭どの、下にゐる臣民どの、
国々の守護神どの、
外国の神々さま、
人民どの、
仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、
その国その民のやり方伝へてあらうがな、
九十に気つけて用意して呉れよ。
十月十日、
ひつ九のか三。
ロックさんのメール
ロックです(^^;)
サイトに関わる人を調べることはイシヤがちょいとやれば朝飯前に 出来るでしょうが、太陽さんのように血筋も途中で追跡不可能になってる場合は、起こる事象を見て動くしかなさそうですよね。
「都市攻撃」の時、びっくりして、世界権力のドン(ロックフェラー)があわててキーを開けるのではないですかね。
大小に関わらず、自分の力が通用する時は不利益な話は聞き入れることってあまりないですよね。
通用しなくなった時に必死になるというのは経験に覚えのあることです〜。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第二十二帖(763)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
神にとけ入れと申してあろう。次元が違うから、
戒律出来るから、
判らんのぢゃ。
解け入れよ。
何につけても大いくさ。
人の殺し合ひばかりでないと知らしてあらう。
ビックリぢゃ。
(意訳)
臣民人民は神に溶け入れと言いつけているでしょう。
臣民人民は次元が違うから、戒律出来るから、判らないのです。
臣民人民は解け入りなさい。
何につけても大戦です。
大戦いと云っても、人の殺し合いばかりでないと知らしてあります。
勘違いしないで下さい。
岩戸開きでの大戦い、ビックリ箱が開く大戦いのことです。
(解説)
岩戸開きでの戦い。
自分との戦い、運命との戦い、それらを乗り越える大一番。
ビックリ箱が開かれる時、試されるのでしょう。
地震の巻には、“戒律は歓喜ではない“と書かれています。
長くて大変かもしれませんが、よく読んで下さればと思います。
地震の巻五帖より、
歓喜に審判なく、
神に戒律はない。
戒律は弥栄進展を停止断絶し、
審判は歓喜浄化を裁く。
このことは神自らを切断することである。
裁きはあり得ず戒律はつくり得ず、
すべては これ湧き出づる歓喜のみの世界なることを知らねばならない。
行為は結果である。
思念は原因である。
原因は結果となり、結果は只、結果のみとして終らず、新しい原因を生む。
地震の巻十三帖より、
地獄的下級霊の現われには、
多くの奇跡的なものをふくむ。
奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。
かかる奇跡によりては、
霊人も地上人も向上し得ない。
浄化し、改心し得ないものである。
また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。
脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。
総て戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。
半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、
半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。
それは強(シ)いるが為である。
神の歓喜には、強いることなく、
戒律する何ものもあり得ない。
戒律あるところ必ず影生じ、
闇を生み出し、
カスが残るものである。
地震の巻十九帖より、
天国の政治は、
歓喜の政治である。
故に、戒律はない。
戒律の存在する処は、
地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならな い。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第23帖 (764)
神が主であり人民が従であると申してあろう。
これを逆にしたから世が乱れてゐるのぞ。
結果あって原因あるのでないぞ。
今の人民、結構すぎて天地の御恩と申すこと忘れてゐるぞ。
いよいよとなって泣面せねばならんこと判りてゐるから、
くどう気付けてゐるのぢゃ。
マコトのことはトリの年。
(意訳)
神が主であり、人民が従ですと説明しています。
これを逆にしたから世が乱れているのです。
結果があって、原因があるのではないのです。
今の人民、結構で脳天気すぎて、天地の御恩と云うことを忘れています。
岩戸開きがいよいよとなって、泣面せねばならないことが判るようになりますから、くどく注意しているのです。
岩戸開きが始まる誠・真の時期はトリの年です。
(解説)
ロックさんの解釈 :(一巡目)
じゃーーん、真のことは酉の年ですか!!
2005は酉年です。
ハイパーインフレか、地震か、この秋の巻に出てきた内容を考えると、ハイパーインフレに陥れば、国中が混沌となります。
その中で女王が現われるかもしれませんね。
世の中への失望の蔓延も疫病みたいな物で人災を撒き散らす結果になります。
そうした中での訪問かもしれませんね。
この巻は秋の巻でした。
すると酉の年の秋に…
世の中は何事も、原因があって結果があるものですね。
それが摂理と言うものです。
2007年正月の今思えば、2005年から始まる、乃至は兆候が現れると捉えるのは当っている様に思えますね。
2005年アメリカでハリケーンのカトリーナによる被害が象徴かと思われます。
そして去年と今月にも日本で発生した爆弾低気圧と言われる現象。
エルニーニョが原因とかメディアでは伝えておりますが、お陰でこの冬、NYで桜が咲きましたし、始まりに相応しい時節かもしれませんね。
金太郎さんのメール
金太郎です
この帖は去年の講演会で聞いた
「本来神が中心で、そこから鳥居や集落に広がる」
と言っているようです
「自分が不幸だとボヤく前に、なぜそうなったかを考えなさい」
とも言われてるようです。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第24帖 (765)
下から見ると皆神ぢゃ。
判りたと思ふて御座るなれど、
神の経綸が学や、金銀つんで、チョットやソットで判る筈ないぞや。
今迄の、三千年のや り方違ってゐたと心つくなれば、
心付いて神示よむなれば、一切のことありやかとなる のぢゃ。
カンジンぢゃ。
(意訳)
上から見ると、全て人民になります。
下から見ると、全ては神となります。
この道理は判っていると思っているようですが、神の経綸が「学や金銀を積んだ」からと云っても、チョットやソットで判る筈はありません。
今迄の三千年のやり方が違っていたと、心で気づくことがあれば、心で気が付いて神示を読めば、一切のことは理解できるのです。
この道理が肝心カンジンです。
(解説)
神から見れば、大統領も社長も新入社員もニートも金持ちも貧乏人も、同じ人民にすぎません。
堕した者が見れば、逆に皆さんが神に見えるものです。
地位や肩書きなど改心とは何ら関係ありません。
大切なのはどれだけ身魂を磨いたか、努力したか、頑張ったのかですね。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第二十五帖(766)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
ウはムであるぞ。
ウとは現実界ぞ。
ムとは霊界であるぞ。
ウもムも同じであるぞ。
ムからウ生れて来ると申してあること、よく心得よ。
神の仕組、狂ひないなれど、
人民に判らねば、
それだけこの世の歩みおくれるのぢゃ。
この世は人民と手引かねばならんから、
苦しみが長くなるから、
千人万人なら一人ずつ手引いてやりても やりやすいなれど、
世界の人民、動物虫けらまでも助ける仕組であるから、
人民 早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。
(意訳)
ウ有はム無であるのです。
ウ有とは現実界のことです。
ム無とは霊界のことです。
ウ有もム無も同じです。
ム無からウ有が生れて来ると説明してあること、よく心得しなさい。
神の仕組は狂いが無いのですが、人民が判らないと、それだけこの世の歩みが遅れるのです。
この世は神と人民とが手を引かねばなりませんから、苦しみが長くなります、 人民の苦しみが長くなるから、千人万人なら一人ずつ手引いてでも助けたいのです。
ですが、世界の人民から動物虫けらまでも助ける仕組ですから、人民は早く改心しないと、人民には気の毒な方たちが沢山でるようになります。
(解説)
ウを3千世界、ムを神としても良いと思います。
親から子が生まれ、子が生まれる事により親が生まれるといった繋がりになりましょうか。
神の計画している岩戸開きは人民の改心が必要ですし、間に合わなかった人民は大洪水に飲まれ事になるのでしょうね。
しかし、それも自分が選んだ道なのですが。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第二十六帖(767)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
中は無、外は有であるぞ。
中になる程 無の無となるのぢゃ。
同じことくり返すと、人民申すであろうが、得心して居らんから、
かんじんのことぢゃから、
クドう申してゐるのぢゃ。
人民それぞれのミタマによって役目違ふのであるぞ。
手は手、足は足と申してあろう。
何も彼もマゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ。
(意訳)
心の中は「中は無、外は有」です。
心の中になる程、無の無となるのです。
同じこを繰り返すと、人民は云うでしょうが、得心していませんから、肝心のことですから、くどく言い聞かせているのです。
人民はそれぞれの身魂によって役目が違うのです。
手は手の役目、足は足の役目があると説明してあるでしょう。
何も彼もマゼコゼにして、実施してしまうるから心と心が結びつかないのです。
(解説)
心の中は『中は無、外は有』です。
心の中になる程、無の無となるのです。
肝心な事の様ですが、とりあえず、このフレーズを覚えて心に留めて置けばよいと思います。
心のどこかで意識していれば、いつの日か理屈ではなく額で判って来るかもしれません。
人民それぞれに天分に応じた役目がりますが、同様に集団なり部落なり国においてもそれぞれの役目の元で祀り合い御用を務め弥栄するのが自然な世なのだと思います。
トッチさんのメール
トッチです。
秋の巻 第二十七帖(768)
昭和二十七年四月十一日、
旧三月十七日(1952年)
型にはまることをカタマルと申すのぢゃ。
こり固まっては動きとれん。
固まらねば型出来んで、
人民には判らんし、
型外して、型をつくらねばならん。
法律つくらねばならんが、
つくってもならんぞ。
神から命令されたミタマでも油断は出来ん。
曇りたらすぐ代りのミタマと入れ替えるのであるぞ。
コリ固まったものがケガレぢゃ。
ケガレはらさねばならん。
絶えず払って払って払ひつつ、又固まらねばならんし、
人民には判らんし、
肉体あるから固まらねばならんし、
常に払ひせねばならん。
総てをこんなもんぢゃときめてはならんぞ。
枯れることをケガレと申すのぢゃ。
判りたか。
神界の立替ばかりでは立替出来ん。
人民界の立替なかなかぢゃナア。
(意訳)
人民臣民が型にはまることを固まるカタマルと云うのです。
こり固まっては動きがとれません。
固まらねば、型は出来ません。
それでは人民には判らないのです。
そこで、人民臣民は一度型を外して、再度型を作るのです。
そうすれば良く分かるでしょう。
世の法律を作らねばなりませんが、作ってはならないのです。
神から命令された身魂でも油断は出来ません。
臣民人民の身魂が曇りましたら、直ぐに代りの身魂と入れ替えるのです。
身魂がコリ固まったものが穢れケガレです。
ケガレ穢れは祓わなければならないのです。
絶えず払って払って払ひつつ、又、固まらねばならないのです。
ですが、この道理は人民には判らないし、肉体あるから固まらねばならないし、常に穢れを払うようにしなければならないのです。
臣民人民は総てを「こんなものです」と決め倒ししてはいけません。
神が枯れることを穢れと云うのです。
この道理を判りましたね。
神界の立替ばかりでは立替が出来ないのです。
人民界の立替はこのような状況ではなかなかに難しいですね。
(解説)
今度の岩戸開きは3千世界の大立て替えですから、神の世界や霊界ばかりでは立て替えにならず、この世界も立て替えなければならないのですが、人民の肝に神が入っていない状況ですので、今のままだと難しいと言ってます。
身魂は放っておくとすぐにホコリが溜まるものですから、絶えず掃除をしなければなりません。
そして神心を判らなければなりません。
ロックさんのメール
ロックです
トッチさんお疲れ様です('◇')ゞ
もう次の巻が終われば2巡目完了ですかね?
金太郎さんのメール
金太郎です
トッチさん、お疲れ様でした(^O^)/
トッチさんのメール
ロックさんも金太郎さんもまだ起きてたんですか。
冬の巻は1帖と補帖だけで、後は未発表なんですね。
でも地震の巻位に長いので見発表で助かったかも^^
今度から3順目ですか?
さて、風呂入って寝ます。 。 。
ロックさんのメール
ロックです
2007年からは三巡目すかあ(^^)
近日中にみーちゃんにPC直してもらって復旧しますから解読も頑張ります〜。
金太郎さんのメール
ロックさん期待してますよぉ
ロックさんのメール
はい('◇')ゞ
三巡目は読み下してみてわからないところはすぐ振ります('◇')ゞ
よろしくお願いします〜
金太郎さんのメール
え〜っ
二人で解読されるんだから、すぐ振らずに頑張ってしなきゃ!
ロックさんのメール
ロックです
三巡目はみーちゃんもとりあえず一通り読まないと難しいと思うので、だ〜と気合いで駆け抜けて4巡目にがっつりどうかなと(^^;)
ともあれ今年はお昼が空くから二年振りに解読チャンスなので頑張ります('◇')ゞ
とけいさんのメール
こんばんは
とけいです。
トッチさん、おつかれさまです〜!
これほどマコト申しても、残る一厘はいよいよのギリギリでないと申さんから、
うたがふのも無理ないなれど、見て御座れよ。
神示をみる度、どうしても「申さんから」が「さるさんから」に見えてしまいます(^^;)
もう三巡目なんですねぇ(==;)
julaさんのメール
jula です。
トッチさん秋の巻ご苦労様でした〜。
ところで冒頭、こんな風に解釈してみましたがいかがでしょうか〜。
霊はものにつくと申してあろう。
払ひするときはモノにつけて、モノと共にせよ。
共に祓へよ。
お守りを使って翌年は焼き払い清めるなんてのはその為なのでしょうか。
お守りになんらかの分霊を宿らせる、もしくは気を頂き、お守りに封じ込める?
それがある意味引き受け役や身代わりとなってくれるという感じ?
仮にそうだとしても、それにはそれのキャパシティがあるでしょう。
キャパシティーを越えてしまったら、引き受け役や身代わりとなるどころか、厄災を呼 び集めるアンテナ、入れ物、集約器となってしまうなんて感じかも知れませんね。
また霊を祓ってもらったのは良かったが、実は直ぐそばの別の人に憑いてしまった。
そいう事も往々にしてあるようです。
というのもどうやら除霊と浄霊の違いがあるようです。
極簡単なお払いだと除霊や悪霊退散は出来る。
けれども、霊を浄化、昇華させるには、更にもう一段踏み込んだ事をしないとならない ようです。
浄化、昇華という事は、おそらくこんな感じかも。
今まで大変だった、ご苦労。
そしてありがとう。
そんな慰めや感謝、労い。
今までの苦労が、下地となって行きますよ。
もう本来のあなたに戻って、次に進んでいいのですよ。
結果的にそんな誘導をしてあげるなんて事なのかも知れませんね。
そうなると、それなりに格がある存在が、それなりの手順を経てするのでなければ上手 くいかないでしょうしね〜。
その際には、それに応じたなんらかの入れ物、モノ、捧げモノなどがあると、 事がスムースに進むのかも知れませんね。
ということは、都市攻撃で焼き払われたり、ノアの大洪水で流し清められる臣民人民。
これも、ある意味お守りと一緒でそこに憑いている霊とともに払い清められる。
そんなお役目である、と言えるのかも知れませんね。
julaさんのメール
jula です。
トッチさん秋の巻ご苦労様でした〜。
ところで冒頭、こんな風に解釈してみましたがいかがでしょうか〜。
霊はものにつくと申してあろう。
払ひするときはモノにつけて、
モノと共にせよ。
共に祓へよ。
お守りを使って翌年は焼き払い清めるなんてのはその為なのでしょうか。
お守りになんらかの分霊を宿らせる、もしくは気を頂き、お守りに封じ込める? それがある意味引き受け役や身代わりとなってくれるという感じ? 仮にそうだとしても、それにはそれのキャパシティがあるでしょう。
キャパシティーを越えてしまったら、引き受け役や身代わりとなるどころか、厄災を呼 び集めるアンテナ、入れ物、集約器となってしまうなんて感じかも知れませんね。
また霊を祓ってもらったのは良かったが、実は直ぐそばの別の人に憑いてしまった。
そいう事も往々にしてあるようです。
というのもどうやら除霊と浄霊の違いがあるようです。
極簡単なお払いだと除霊や悪霊退散は出来る。
けれども、霊を浄化、昇華させるには、更にもう一段踏み込んだ事をしないとならない ようです。
浄化、昇華という事は、おそらくこんな感じかも。
今まで大変だった、ご苦労。
そしてありがとう。
そんな慰めや感謝、労い。
今までの苦労が、下地となって行きますよ。
もう本来のあなたに戻って、次に進んでいいのですよ。
結果的にそんな誘導をしてあげるなんて事なのかも知れませんね。
そうなると、それなりに格がある存在が、それなりの手順を経てするのでなければ上手 くいかないでしょうしね〜。
その際には、それに応じたなんらかの入れ物、モノ、捧げモノなどがあると、 事がスムースに進むのかも知れませんね。
ということは、都市攻撃で焼き払われたり、ノアの大洪水で流し清められる臣民人民。
これも、ある意味お守りと一緒でそこに憑いている霊とともに払い清められる。
そんなお役目である、と言えるのかも知れませんね。
千成の返事
トッチさん、秋の巻 完了ごくろうさま。o(^-^)o
神示は数が多いから大変ですね。