「あのね、はるね、こういうことね」
「いままでできなかったんだけど、いつできるようになったかっていうとね」
「ここ(八ケ岳)に来てからなの。」
「あのね、それからね、いまは、いまって今の今ね」
「もうヨガのポーズとらなくても見えるようになったよ」
「それからね、頭っていうか、心っていうか、言いたいことを思うじゃない」
「そうすると話せるんだよ」
「聞こえるし・・・・」「できるでしょう? お父さんも」
と言われて、私は言葉に窮した。
どこでヨガのポーズなんかいつ覚えたのだろうと思い、それを聞いてみたら、
「少年アシベ」というマンガの中に出てくるチベットの修行増がそうゆう格好をしていたからだという。
子供の柔軟性と吸収力に、ただただ敬服するばかりだった。
翌日、近くのプールに行く途中の自動車の中で、また、はるは急に、
後ろの座席から運転している私の耳元までニューッと体を伸ばして、話をし始めた。
「あのね、きのうさ、月とか他の星のこととか、遠くの友達のこととかが見えるってはなしたでしょ」
「あれはね、こーゆーことなの・・・・」
「あのね、あたしという人間ね、ね、あたし、このあたしね(と言って自分の胸を平手でポンポンとたたく)」
「このあたしが二人いるってことなの。」
「一人はいま話しているあたしなんだけど、もう一人は透明っていうか、透き通っているの」
「その人が・・・・、」
「それはあたしなんだけど、その人が見るのよ、いろんなもんを」
「遠くのものとか、月とか」
「そうするとこのあたしが分かるの」
「あのね、その透き通っているあたしはね・・・・」
「だからあたしは二人いるんだけど、いつも一緒で」
「そうゆうときだけスーッと離れることもあるんだけどね」
「そうやって見えたりするんだけどね」
「でもいつも一緒でさ、あたしのこの中にいるの」
「あのね、だからその透き通ったあたしは、『こころ』なの、こころっていうこと」
私はそのとおりだと思った。
私にはそうした体験は無い。
でも、彼女はごく自然に私に自分の身に起きたことを解説していて、眼は澄んでいて、それがなによりの説得力だった。